2012年11月3日土曜日

『預言者ムハンマドの生涯』第一巻(102)

預言者ムハンマドの誕生と養育(4)


 サウル・イブン・ヤズィードは、ある博識の人物、私がそれはハーリド・イブン・マアダーヌル・カラーイであると考えている人物から聞いた話を私に語った。何人かの教友が神の使徒に、使徒自身の生い立ちについて尋ねた。使徒は、「私は、父祖のイブラヒームが神に祈った者であり、イーサが伝えた福音である。私の母が身ごもっていたとき、母は自分から出た光がシリアの城を照らすのを見た。私はサアド・イブン・バクルの部族の間で育てられ、乳兄弟と一緒に天幕の裏で子羊を放牧していると、白い服を着た二人の男が、雪でいっぱいになった黄金のたらいを抱えて私のところにやって来た。彼らは私を捕まえて、お腹を開き、心臓を取り出して裂き、それから黒い滴をすくって捨て、そして心臓とお腹が完全に浄化されるまでその雪で洗った。一人がもう一人に、彼と彼の民十人の重さを比べようと言い、彼らが量ると、私の方が重かった。それから彼らは、私と百人の、そして千人の重さを量ったが、私の方が重かった。男の一人は、彼を独りにしよう、神にかけて、民の全部と比べても、彼の方が重いと言った」、と語られた。

 神の使徒はいつも、「羊を飼わなかった預言者はいない」とおっしゃっていた。教友が、「あなたもですね、神の使徒よ」と言うと、使徒は、「そうだ」、とお答えになった。

 神の使徒はよく教友たちに、「私はあなたたちの中で、最も直系のアラブ人である。私はクライシュ一族であり、サアド・イブン・バクルの部族の間で育てられた」、と語られた。真実は神だけが知っていることであるが、ある人は、育ての母が彼を家族のもとに連れて行くためマッカに来たとき、彼は人ごみの中で彼女とはぐれた、と伝えている。育ての母は、彼を探したが見つからなかったので、アブドゥル・ムッタリブのところに行って、「私は今晩、ムハンマドを連れて来ましたが、マッカの山の手にいた時、彼は私とはぐれ、どこに行ったかわかりません」、と訴えた。アブドゥル・ムッタリブは、カアバに行って、彼を見つけるために神に祈った。ワラカ・イブン・ナウファル・イブン・アサドと、もう一人のクライシュの者が彼を見つけて、アブドゥル・ムッタリブのところに連れ帰り、「私たちはこの子をマッカの山の手で見つけた」、と言った。アブドゥル・ムッタリブは、彼を抱いて肩の上に乗せ、神が孫を守護されるように祈りながら、カアバの周りを回った。そして彼を母のアーミナに返した。

 ある学者が私に語ったところによると、使徒をアーミナに返すよう育ての母を急がせたのは、彼女がアーミナに語ったことは別として、彼が乳離れした後、彼女が彼を連れて戻って来たとき、多数のアビシニア人キリスト教徒が彼に出会ったからである。彼らは、使徒を見つめ、あれこれ彼について質問し、しげしげと観察して、「この子を連れて、我らの王と我らの国へ行かせてください。彼には偉大な未来が開かれている。我々は彼のことをすべて知っている」、と彼女に言った。これを私に語った人は、彼女が、使徒を彼らから引き離すことは、大変困難であった、と伝えている。

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