アムル・イブン・ルハイイの物語と、アラブにおける偶像崇拝(1)
アブドッラー・イブン・アブー・バクル・イブン・ムハンマド・イブン・アムル・イブン・ハズムは、彼の父が伝え聞いた伝承を、私に語った。「神の使徒は、『私が、地獄で腸を引きずっているアムル・イブン・ルハイイに会い、彼の時代と私の時代の間の人々について聞いたところ、彼は、彼らは滅亡した、と答えた』、と語られた」。
ムハンマド・イブン・イブラヒーム・イブヌル・ハーリスッ・タミーミーは、アブー・サーリフッ・サンマーンがアブー・ホライラから伝え聞いた次のような話を、私に語った。「神の使徒がアクサム・イブヌル・ジャウヌル・ホザーイ〔ホザーア族〕に、『おお、アクサムよ、私は地獄で腸を引きずっているアムル・イブン・ルハイイ・イブン・カマア・イブン・ヒンディフに会ったが、お前と彼ほどよく似ている二人の男に私は会ったことがない』、と語られたとき、アクサムが、『この類似は私をおとしめるのでしょうか』、と尋ねると、使徒は、『いや違う、お前は信者であり、彼は不信者であるからだ。アムル・イブン・ルハイイは、最初にイスマイールの信仰を変えて、偶像を建て、バヒーラ、サーイバ、ワスィーラ、ハーミー〔後述〕の区分にあたるラクダのみをハラーム〔禁断〕とする慣習を始めた者である』とお答えになった」。
伝えられるところによると、イスマイールの子孫たちの間で、石に対する偶像崇拝が始まったのは、彼らにとってマッカが狭くなり、ほかの土地を求め始めたころのことである、という。街を離れる者は誰もが、崇拝するために聖域から石をとり、それを携えて出ていった。彼らは新たに定住したところにその石を安置し、カアバを回ったように、石の周りを回った。次第に彼らは、自分たちが気に入って、好ましい印象を持つ石ならば、何でもカアバの石の代用として儀式に用いるようになった。それから更に何世代も経過すると、彼らは信仰の根本を忘れ、イブラヒームとイスマイールの信仰に加えて、ほかの宗教を採用した。彼らは偶像を崇拝し、イブラヒーム以前の民族と同じ過ちを取り入れた。彼らは、イブラヒームの信仰にはない要素を取り入れながらも、カアバを崇拝して回ること、大小の巡礼、アラファとムズダリファの丘に立つこと、いけにえの犠牲、大巡礼と小巡礼の際の念誦などの、イブラヒームの時代から深く根づいている信仰行為も保持し続けた(コラム3を参照)。かくして、キナーナ一族とクライシュ一族が使った巡礼の念誦は、「主の意のままに、おお、神よ、主の意のままに。主の意のままに、主が所有されるものを除いて、主に仲間はいない」、といった。彼らは、この念誦で、神の唯一性を信仰しながらも、神の手に偶像を所有させて、偶像を神と一緒にしたのである。そこで神は、ムハンマドに、「かれらの多くは、アッラーを多神の一つとしてしか信仰しない。」(一二章一〇六節)、と啓示を下された。すなわち、彼らは、神の唯一性を認識しながらも、神を、神の被造物に並ばせたのである。
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